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MACHINE
NISSAN MOTORSPORTS の歴史の中で、
特に活躍した代表的なマシンを各年代毎に紹介いたします。
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a la carte 日産モータースポーツの歴史
1963年 フェアレディ 1500
日本初の本格的自動車レース「第1回日本GP」のBIIレースで優勝した初代フェアレディ、SP310。後にSCCN会長となる田原源一郎のドライブにより、トライアンフTR4やMGB等を打ち破り、喝采を浴びた。
ひとことで言えばブルーバード(310)のシャシーにセドリックの1500ccエンジンを搭載したスポーツカーだが、高性能かつ廉価で大いに人気を得た。1600、2000と進化する。
1966年 ニッサンR380
第3回日本GPは完成間もないコース、富士スピードウェイで行われた。
前年秋に谷田部でスピード記録に挑戦した日本初のレーシングスポーツカー「プリンスR380」が4台参戦、ポルシェ・カレラ6を相手に好レースを展開し、最後は1-2フィニッシュを果たした。
優勝は砂子義一。雨の予選で最速だったフェアレディSがグリッド1列目左側に陣取っている。
1967年 セドリック
日産のサファリ・ラリー挑戦は63年から始まった。 66年はブルーバードが初完走して5〜6位入賞。
67年にはセドリックが5台参加した。
その内の一台はラリー後半3位を走っていたが、現地人の投石に遭い、脱落を余儀なくされた。世界の壁はまだなお厚い。
1971年 ダットサン・スポーツ240Z
富士スピードウェイのスタンド前、「レース・ド・ニッポン」のル・マン式スタート。
6時間の苛酷な耐久レースに、本来輸出用の240Zがワークス参戦して1〜2位を占め、3〜4位にスカイラインGT-R、5位にブルーバードSSSと、上位には日産車が連なった。
前年70年にはフェアレディZ432が優勝した。
1973年 ダットサン・スポーツ240Z
世界ラリー選手権は73年に始まった。
その第4戦サファリ・ラリーでのこの240Z(メッタ/ドリューズ組)の優勝が日産車のWRC戦初勝利となる。
ブルーバードUも2位と4位。
全戦参加の義務がなかった当時、日産は悪路の長距離イベントを中心に参戦した。
1973年 サニー1400クーペ
春に富士で行われるGPは69年からフォーミュラカーで競われることになったが、その前座戦である特殊ツーリングカー・レースは毎回メインレース以上の激戦に沸いた。
前年トヨタ勢に負けた日産は、サニー・エクセレントに新開発DOHC4バルブ・エンジンを搭載、1〜3位を独占して雪辱を果たした。
1974年 バイオレット・ターボ
70年代初頭、新技術としてターボチャージャーの開発が積極的に行われた。
オイルショック後の74年、日本国内にはそれをトライする場がなく、ワークスは東南アジアに遠征し、マレーシア/セランゴールGPにバイオレット・ターボで参戦、高橋国光が優勝した。
1975年 マーチ753・ニッサン
73年に日本で始まったFJ1300レースは、F3級シャシーに1.3Lチューニングエンジンを搭載したもので人気を集めた。
後に全日本F3へと移行する。写真の75年JAF-GP(鈴鹿)では、長谷見昌弘マーチ753が星野一義マーチ733をリード中。
ともに日産サニー用A12エンジンを搭載する。
長谷見は74〜75年の、星野は76年の全日本FJ1300チャンピオン。
1980年 マーチ79B・ニッサン
全日本FP(フォーミュラ・パシフィック)選手権は77〜82年に開催された1.6Lフォーミュラ。
海外のフォーミュラ・アトランティックとも連携して国際化も考慮されたが、実現はしなかった。
日産は当初より積極的に参戦し、長谷見昌弘が77〜78年と80年の、星野一義が81〜82年のチャンピオンとなる。
写真は80年JAF鈴鹿GPの長谷見。
1982年 ダットサン280ZXターボ
人気俳優ポール・ニューマンもレースではZを愛用した。
80年代、アメリカ車が多数を占めるSCCA主催Trans-Amシリーズにボブ・シャープ・レーシングから参戦し、数度の優勝を遂げた。
ボブ・シャープ自身も60年代半ばからアメリカで各種フェアレディを走らせた強者だった。
1983年 ニッサン240RS
WRC車両のグループBカー化に伴い、ニッサンはシルビア/バイオレットGTSをベースに競技専用車種を開発した。
2.4L4気筒16バルブ・エンジンを持つ後輪駆動の240RSは、83年サファリ・ラリーで4位、ニュージーランド・ラリーで2位に食い込んだ。
1987年 ニッサン200SX
中国大陸を疾走するユニークな87年「香港〜北京ラリー」で総合2位に食い込んだマイク・カークランド操るシルビア200SX。
岩下良雄も4位入賞。カークランドは88〜89年サファリ・ラリーでも連続2位となった。
200SXは3LV6エンジンのグループA仕様。
1991年 ニッサンNPT 91
北米のIMSA-GTPシリーズでエレクトラモーティヴ製作のニッサンGTP-ZXTを駆ったジェフ・ブラハムは通算20勝以上を挙げて88〜91年と連続チャンピオンとなる。90年代後半からはNPT90→91と新世代マシーンへと進化した。
3LV6ターボは750bhp。
1992年 ニッサンP35&NP35
グループC規定に改変に従い、NA3.5LV12エンジン車が新開発。
出力は630bhp。アメリカのIMSA向け「P35」と日本国内向け「NP35」では足回りが若干異なる。
92年秋のJSPC最終戦・美祢に登場したが、その後実戦参戦の機会はなく、幻のマシーンとなった。
1992年 パルサーGTi-R
91年サファリ・ラリーでWRCの第一線に復帰した日産は、パルサーGTi-R(2L4気筒ターボ)のグループAに加えて、翌年にはグループNにも積極参戦。
これを駆ったグレゴワール・ド・メヴィウスは92年ワールドNチャンピオンに輝いた。RACラリーでの走り。
1992年 フェアレディ300ZXターボ
北米を代表するスポーツカー・レースIMSA-GTの市販車ベースのクラスがGTOとGTU(排気量の大小で分類)。
300ZXターボは89年以降、常にGTO(92年からGTSに名称変更)の優勝戦線にあった。
マーキュリー/アウディ/マツダ/フォード/オールズモビルとライバルは次々に現れたが、スティーブ・ミレンは92年と94年に王座に。
1995年 サニー
全日本ツーリングカー選手権は94年に、2L4ドア・セダンのスーパーツーリングカーにによる短距離レースへと模様替えし通称JTCCとして親しまれるようになった。
日産はプリメーラやサニーで97年まで参戦した。
2L4気筒300bhpで前輪駆動。写真は飯田章のサニー。
1998年 スカイラインGT-R
日本国内で90年にシリーズ化されたN1耐久(98年からスーパー耐久)レースは、グループAやJTCC用スーパーツーリングカーより改造範囲が狭いツーリングカー・レース。
中距離をドライバー交代制で争う。
GT-Rは90年デビュー以来、形式が変わっても常勝を続けてきている。
1998年 プリメーラ
BTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)にプリメーラは96年から参戦し始めた。
98年には26戦9勝でマニュファクチャラー・チャンピオンを奪い、翌99年になると計14勝、ドライバー(ローレン・アイエロ)/マニュファクチャラーの2冠を達成した。
1999年 ニッサンR391
97年〜98年とR390GT1でル・マン24時間を戦った後、99年は全く新開発のプロトタイプカーR391を投入した。
エンジンも新開発NA5LV8インフィニティ・エンジンを持つ。
ル・マン決勝には1台のみ参戦で、8時間後にエンジン不調で脱落。
しかし秋には富士スピードウェイで行われた「ル・マン富士1000km」ではトヨタTS020と大接戦の末これを破り、優勝した。